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NAMURA BRAND
名村筆の歴史

名村 春雄 
株式会社名村大成堂の創業者

    株式会社名村大成堂の創業者名村春雄は大正6年栃木県河内郡絹島村(現 宇都宮市下小倉町)に名村芳五郎・蝶の十番目の末っ子として生まれる。
    春雄が生まれた頃、この地方を襲った台風により鬼怒川が氾濫、田畑を流され生家が赤貧の小作農となったために14才の時に単身上京することとなった。
    芳五郎の次男義弥がすでに上京し、画筆職人として商売をしていた。そこで2年程お世話になっているうちに知人の紹介により大田区池上で弁護士をしていた原敬次の書生としての生活が始まり、短期間ではあったが、多くの知識を得た。
    昭和6年に満州事変が勃発し、原先生が招集されやむなく兄義弥の納品先で日本橋松原町の水谷大成堂(書道用品等製造部)に勤めることとなった。
    昭和15年2月11日に水谷大成堂より独立し筆墨硯書道用品の製造卸として豊島区雑司が谷3丁目30番地、鬼子母神参道に小さな店を構える。

    独立し商売に励んでいたものの戦争色が強まり、商品や材料の入手がままならなくなり、ついに第二次大戦でまったく商売どころではなくなった。ただ招集されず、また家も焼かれることもなかったことは誠に幸運であった。
    昭和23年1月31日に法人化し、有限会社名村大成堂とする。
    昭和24年に当社製品の水彩筆等が文部省基準品の認定を受ける。
    昭和25年、現在の豊島区雑司が谷2丁目499番地に移転し業務の拡大と充実をはかる。まだ営業部より製造部の人数の方が多かった頃である。
    昭和33年、お得意先の要望に応えるべく絵画材料の卸販売を始めることとなる。ニッカー絵具、クサカベ絵具、ロダン工業、スター絵具、伊研、東京キャンバス等の協力を得て始まったが、商品知識も少なくかなり大変であった。
    昭和51年、全国書道用品生産連盟の会長に就任し、昭和57年まで3期を務め書道業界に尽力した。
    昭和63年に本社ビル建設計画に伴い、製造工場兼倉庫を新築するも、体調を崩し鍬入れ式を終えてすぐに入院し昭和63年12月26日にその完成をみることもなく、昭和の年号の終わりに従うように他界した。
享年71才